福岡地方裁判所 平成2年(ワ)922号 判決 1993年10月07日
主文
一 被告は、原告に対し、七〇〇万円及びこれに対する昭和六三年一一月三〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを四分し、その三を原告の、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。ただし、被告が四〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
理由
第一 請求
被告は、原告に対し、三〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年一一月三〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、原告が被告に対し、被告の使用する医師の不法行為、又は被告の診療契約上の債務の不完全履行に基づき、損害賠償金六〇三七万八五〇八円の内金三〇〇〇万円とこれに対する遅延損害金の支払いを求める事案である。
一 争いのない事実
1 被告は、肩書地において福岡記念病院(以下「被告病院」という。)を開設している医療法人であり、訴外滝原哲一(以下「滝原医師」という。)は、被告病院に外科医(乳腺外科)として勤務し、原告の主治医としてその治療に当たつた者である。
2 原告は、昭和六三年一一月二九日、被告病院に入院し、同月三〇日、滝原医師から、原告の左乳頭にはゼルハイム法の術式、右乳頭にはビルケンフェルト法を基本とする術式による手術(以下「本件手術」という。)を受けた。
二 争点
1 滝原医師の注意義務違反の有無
(一) 本件手術の手術適応性の有無における注意義務違反
(原告の主張)
本件手術当時、原告には両側陥没乳頭の症状があつたものの、両側乳腺腫瘍はなかつたものであり、仮に原告に本件手術当時乳腺腫瘍があつたとしても、その摘出手術は乳癌があるか否かを判断するためにされるものであるところ、滝原医師は原告について乳癌ないし悪性腫瘍の疑いを全く持つていなかつたのであるから、本件手術には乳腺腫瘍摘出手術としての適応性はなかつたものである(なお、本件手術の際、病名として乳腺腫瘍が診療録等に記載されているのは、陥没乳頭に対する手術(以下「陥没乳頭手術」という。)は保険診療の対象ではないので、原告に保険診療として陥没乳頭手術を受けさせる便宜のために記載されたものにすぎない。)。また、陥没乳頭手術は、授乳困難や急性乳腺炎を繰り返す場合もしくは患者の希望による場合に行われるところ、原告は、本件手術当時未婚であつて、授乳困難は現実に生じておらず、授乳困難か否かは妊娠出産を経験しなければ分からないものである上、本件手術当時急性乳腺炎を繰り返す状況にはなかつたものであるから、本件手術には陥没乳頭手術としての適応性もなかつたものである。
したがつて、このように本件手術には手術適応性がないにもかかわらず、滝原医師が原告に対して本件手術を実施した以上、被告に不法行為責任ないし診療契約上の債務不履行責任があることは、明らかである。
(被告の主張)
滝原医師が昭和六三年一〇月二七日原告を診察した際、原告には両側乳腺腫瘍があつたので、その種別と慢性乳腺炎との鑑別診断の必要がある一方、原告のような二五歳以上の患者に対する乳腺腫瘍の治療内容としては腫瘍摘出が主なものであることや乳腺症があれば癌の発生母地ができやすいことから、乳腺腫瘍摘出を主たる目的として本件手術を実施する必要があつた。また、原告の右乳頭は大変矮小で奇形を呈した特殊型ないし重度の陥没乳頭であり、他方、左乳頭は中等度の陥没乳頭であつたところ、陥没乳頭であれば乳腺炎を繰り返して将来癌発生の母地ができる危険がある一方、現に原告は昭和五八年七月に乳腺炎に罹患していた上、手術の時期としても妊娠授乳前又はこの間歇期に実施するのが最善であることから、本件手術は、陥没乳頭手術としても手術適応性があつたものである。
以上のように、本件手術には手術適応性があつたものであるから、これを否定する原告の主張は、失当である。
(二) 本件手術における術式選択の当否
(原告の主張)
原告の左乳頭に実施された乳頭形成術であるゼルハイム法は、本件手術当時、陥没乳頭手術としては既に過去の手技となつたものであり、少なくとも美的観点からはグロテスクな印象を受けるところから、改良術式が検討されていたものである。したがつて、ゼルハイム法が本件手術当時の医療水準にかなう手術がどうかは疑問である。また、原告の右乳頭に実施されたビルケンフェルト法は、乳頭らしきものが不存在である場合に授乳機能の改善を目的とせずに行われる乳頭造設術であるから、原告のように陥没していても未だ乳頭がある場合には、乳頭造設術よりは通常の乳頭形成術を選択すべきである。
したがつて、滝原医師には本件手術における術式選択を誤つた注意義務違反があるというべきである。
(被告の主張)
本件手術は、乳頭形成のための切開線を利用して乳腺腫瘍の摘出を目的とするものであり、術式の選択もかなり制約されざるを得なかつたものである。
本件手術当時、ゼルハイム法の欠点を補う他の改良術式が検討されていたとしても、本件手術においては乳腺腫瘍摘出のためには切開線が限局されすぎているから、右改良術式は応用できない術式である。また、ゼルハイム法は原告のように中等症の陥没乳頭に効果的な術式であるから、滝原医師が右術式を原告の左乳頭に選択したことが不適切とはいえないのである。
また、原告の右乳頭はほとんど無乳頭に近い矮小の乳頭奇形として認められる特殊型であつたことから、無乳頭の場合に乳頭状隆起を作るビルケンフェルト法を基本にして若干変法を加えた術式を採用したものであり、しかも、本件手術に際しては切開線も考慮しているのであるから、原告の右乳頭に対する術式の選択も合理的なものである。
なお、滝原医師は、本件手術中は、特に乳頭の損傷、後出血、形成乳頭壁の連続縫合糸の締めすぎによる壊死等が生じないよう留意し、術後にも慎重に取り扱うよう対処しており、同医師の手技には失敗はない。
(三) 滝原医師の説明義務違反と原告の同意の有無
(原告の主張)
原告が滝原医師による本件手術を受けることに同意したのは、同医師に対し、以前から原告の陥没乳頭について乳頭の形成手術を受けた方が良い旨勧められていたこともあつて本件手術の内容などについて種々質問したところ、同医師から、同医師が実施しようとしている本件手術は美容形成外科医が行うものと同一であること、本件手術によつては乳輪の内部にわずかな手術痕を残すのみであること、美容形成外科医が行う手術はともすれば乳腺を切断するなどの事故が伴い危険であるが、同医師が行えばそのような危険はないこと等の説明を受けた上、更に、陥没乳頭手術は、出産後の授乳に現に障害を生じている場合以外は保険診療では行えないのであるが、同医師のもとで手術を受けるならば保険診療で行えるような病名を付けて手術をする旨話して、積極的に本件手術を受けるように勧めたからである。
しかし、そもそも陥没乳頭であること自体は治療を要するものではなく、現に出産して授乳障害があるときに手術の必要性が生じるに過ぎない。したがつて、陥没乳頭の形成手術は、原告のような未婚の女性の場合には、専ら美容目的をもつてなされるものであつて、その手術は、習熟した美容形成外科医によつてなされることが望ましいものである。しかるに、滝原医師は、前記のごとく本件手術に関してその必要性があり、かつ、同医師に任せるのが最適であるかのような虚偽の事実を説明して手術を勧め、その結果、原告から本件手術についての同意を得たものである。かかる滝原医師の説明義務違反の説明に基づく原告の同意は真正なものではないから、本件手術は原告の同意を欠く違法なものであり、したがつて、被告は、原告が本件手術によつて被つた損害の賠償責任を免れないといわなければならない。
(被告の主張)
滝原医師は、本件手術を実施するに際し、陥没乳頭は乳腺炎や乳癌になりやすく、陥没乳頭手術は治療上からも効果があること、原告については鑑別のため乳腺腫瘍の摘出の必要があること、本件手術は美容目的ではなく陥没乳頭を引き出す手術であること、右乳頭はわずかしか上がらず、授乳機能は期待できないが、左乳頭形成は右側よりはましな乳頭ができ、授乳機能は右側よりはいくらか期待できる程度であること、本件手術によりある程度傷跡は残ること等を説明し、更に、陥没乳頭手術は必ずしもうまく行くとは限らないのでよく考えるように念を押すとともに、陥没乳頭手術は保険診療外であるから、乳腺腫瘍摘出のみ保険請求すると説明した。その結果、原告は、右説明を熟慮の上本件手術に同意したのである。
したがつて、滝原医師は、何ら虚偽の説明をしたことはなく、原告の本件手術に対する同意も何ら問題はないから、この点に関する原告の主張は、失当である。
2 本件手術と原告の損害との因果関係の有無
(被告の主張)
本件手術は、陥没乳頭手術と乳腺腫瘍摘出手術を兼ねるものであり、採用する術式が制限されざるを得ない上、一般的にアレルギー体質は乳頭壊死の危険を高めるものであるところ、原告は相当アレルギー体質が強かつたのであるから、本件において、原告の乳頭壊死及び瘢痕は避けることができなかつたのである。
また、原告の右乳房の授乳機能の喪失については、一般に、陥没乳頭の手術において乳管温存の術式で授乳可能となつた症例はほとんどないし、原告はもともと乳管が少なく、乳頭は正常の場合に比べて大変矮小で奇形であるから、授乳機能の回復はほとんど期待できなかつたものである。
(原告の主張)
仮に、原告の乳頭壊死及び瘢痕の発生に原告の体質が影響しているとしても、滝原医師は本件手術前にその旨説明すべきであつたところ、同医師からはそのような説明がなかつた以上、同医師による本件手術と原告の損害との間の因果関係に存するといわなればならない。また、原告の右乳房に実施されたビルケンフェルト法自体授乳機能に配慮しないものであるから、右術式の選択により右乳房の授乳機能が喪失されたことは明らかである。
3 原告の損害の有無(原告の主張)
(一) 逸失利益 四〇三七万八五〇八円
原告は、本件手術により両乳房に著しく醜い瘢痕及び乳頭壊死を残し、右乳房の授乳機能を喪失したままである。これは、実質的には、胸腹部臓器の機能の障害であるとともに、女子の外貌に著しい醜状を残すものであり、自倍法施行令第二条の後遺障害別等級の第七級に該当するものというべきであるから、右後遺障害による原告の労働能力喪失率は、五六パーセントとみるのが相当である。
そこで、昭和六三年発行の賃金センサス第一巻第一表によれば、同年の短大卒業の二五歳の女子労働者の平均年収額は三二三万四四〇〇円であるところ、ホフマン式計算法により中間利息を控除して、満六七歳に至るまでの四二年間の逸失利益の現価を算出すると、四〇三七万八五〇八円となる。
三二三万四四〇〇円×二二・二九三×〇・五六=四〇三七万八五〇八円
(二) 慰謝料 二〇〇〇万円
原告は、本件手術当時二五歳の未婚の女性であるにもかかわらず、本件手術により両乳房に醜悪な瘢痕を形成され、右乳房の授乳機能を失つたものであり、わが子に授乳する喜びを失つたばかりか、このままでは当たり前に結婚する夢もかなわないのではないかという深い絶望感に陥つた。また、壊死した右乳頭の皮膚は深く乳房の中に吸収される形で穴をあけており、入浴の度に気をつけて洗つてはいるが、そこに垢がたまるため、いつ感染症にかかるかも知れないとの不安もある。更に、本件手術後、右瘢痕について美容形成外科で手術を数回受け、現在も治療を続けているものの、ほとんど変化はない。かかる精神的苦痛を金銭に換算すると、二〇〇〇万円を下らないものである。
第三 当裁判所の判断
一 本件手術の経緯等
1 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。《証拠判断略》
(一) 昭和五八年六月二九日、原告は、被告病院を初めて受診し、左乳腺腫瘍の診断のもとに湿布や投薬治療を同年七月二一日まで受けた。昭和五九年三月一一日、原告は、以前隆鼻術を受けた美容形成外科医の徳永慎介(以下「徳永医師」という。)に陥没乳頭を訴えて受診し、同医師から陥没乳頭手術についての一般的説明を受けた。なお、右三月一一日の診療時には、原告の右乳頭についての無乳頭に近い重症であるという記載はなく、同医師も右乳頭の状態をそのようには認識していなかつた。
(二) 昭和六〇年一月八日、原告は、両側の乳房全体が腫れて痛かつたため、被告病院で滝原医師の診察を受け、同医師は、視診と触診及びレントゲン撮影をした結果、原告の両乳房上外半側にびまん性腫脹を認めるとともに、左乳房の乳輪の外側に小豆大の硬結を触知したので、これらの所見を総合して両側乳腺症と診断し、抗女性ホルモン剤であるチオデロンを投与して乳腺症への効果について経過観察をすることとした。その際、同医師は、原告の陥没乳頭に触れ、陥没乳頭の場合は一般に乳腺炎や乳癌になりやすい傾向があると説明するとともに、陥没乳頭手術を受けるよう原告に勧めた。なお、その日の診療録には、両側陥没乳頭の記載のほか、右腫脹や硬結の位置、大きさ、性状が詳細に記載されていた。そして、原告は、同年三月五日まで滝原医師の診察を受けたが、乳房の腫れも痛みもほとんどなくなり、小豆大であつた硬いしこりも米粒大に小さくなつたので、一年間経過観察することとなり、結局同医師が勧める陥没乳頭手術は受けなかつた。
(三) 昭和六三年一〇月二七日、原告は、当時二五歳となり、将来の妊娠や出産のことを考えて、以前陥没乳頭手術を勧めていた滝原医師に相談するため同医師の診察を受けたが、特に、自覚症状として乳房の腫れや痛みなどがあつたわけではなかつた。滝原医師は、原告の両側乳房を視診及び触診したのみで、吸引器やフックを使用しての左右乳頭の検査や乳房のレントゲン撮影、投薬等の治療などはしなかつた。そして、同医師は、手術後に残る傷跡などに関する原告の質問に対し、自己の乳房手術の経歴を説明した上で、同医師が行う手術は美容形成外科医の行う手術と同じものであり、手術はそれほど難しくはないから安心できること、手術の切開線は乳輪の中だけであるから、傷跡は時間の経過とともに乳輪の色に同化してほとんど残らないこと、陥没乳頭手術は保険診療の対象にならないが、保険で治療費が支払われるように病名は保険診療の対象になる乳線腫瘍にして手術をすることなどの説明をしたものの、本件手術の具体的な術式であるゼルハイム法やビルケンフェルト法の内容や本件手術の切開線及び手術後原告の乳房に残る傷跡についての説明は全くしなかつた。なお、同日の診療録の主要病状等欄には、左右乳頭の陥没を図示した記載が、滝原医師が同年一一月二九日に作成した診療録の現病歴欄には、右一〇月二七日の左右乳頭の状態について、右乳頭は「完全陥没乳頭殆ど無状態」、左乳頭は「完全陥没乳頭小」という記載がそれぞれあるのみで、いずれにも両側乳房のびまん性の腫脹硬結、しこりや疼痛に関する記載は全くなかつた。
(四) 同年一一月二九日、原告は、滝原医師から陥没乳頭手術を受けるべく被告病院に入院した。その際、同医師は、現在の原告の乳頭の状態や手術の結果左右対象にならないかもしれないことの説明はしたものの、左乳頭については陥没乳頭が中等症であるとして乳頭形成術であるゼルハイム法を選択し、右乳頭についてはその状態が正常な人の乳頭に比べて大変矮小で奇形を呈しているとして乳頭造設術であるビルケンフェルト法に基づく変法を選択するという本件手術の具体的内容、本件手術の切開線により左右乳房に残る傷跡についての具体的説明は全くしなかつた。なお、その日の診療録には、専ら乳頭についてのみがあり、両側乳房のびまん性の腫脹硬結、しこりや疼痛に関する記載は全くなかつた。
(五) 同月三〇日、原告は、滝原医師により本件手術を受けたが、特に異常は認められなかつた。そして、その日の診療録及び手術記録には、本件手術による摘出物についての記載は全くなく、本件手術による摘出物の顕微鏡標本の作成、保存もされなかつた。また、右の手術記録には、両側乳房外半側に腫瘤が存する図が描かれ、皮膚切開により右腫瘤を摘出する旨及び大きい繊維腺腫が存した旨の記載があるが、そのほかのしこり等の記載はなく、原告の左右乳房に残る本件手術による切開線と右手術記録に記載された本件手術の切開線とは全く一致しない。更に、看護記録の本件手術の経過が詳細に記述された部分では、一〇時五八分欄の「乳頭陥没術終了」の記載が白い修正液で消された上に「右乳腺根治術終了」と同一一時四九分欄の「左乳頭陥没術終了」の記載が白い修正液で消された上に「左乳腺根治術終了」とそれぞれ書き直されている。
(六) 同年一二月二日、原告の右乳頭に壊死が生じたので、滝原医師は、原告に対し、末梢の細い動静脈の血行障害を防止するため、血流改善剤であるヒデルギンを投与したが結果的に右症状は改善しなかつた。その後、同医師は、同月九日までに抜糸をしたが、同日、左乳房の乳頭左右の縫合創が長さ約一センチメートルし開したので、感染防止と瘢痕防止のため、クロマイP軟膏を塗布した。
(七) 同月一〇日、原告は、両乳頭部の状況を悲観して「こんな乳になつてもう結婚もできない、死んだほうがましだ」と泣き叫ぶなどの興奮状態となつた後、滝原医師に不信感を持つようになり、同月一四日、徳永医師を訪れて受診したところ、右乳頭壊死、左乳輪切開部分の傷の治療状態不良との診断であつた。そして、原告は、同月一七日被告病院を退院し、平成元年一月二〇日滝原医師が治癒の診断をするまで被告病院に通院した。
(八) 原告は、平成二年七月一五日、徳永医師により左乳頭の形成と瘢痕除去、右乳頭への耳朶皮膚移植の手術を受け、その後も平成三年一月二七日、同年九月一五日と同様の手術を受けて現在も経過観察中である。
なお、徳永医師による手術前の原告の状態は、左乳房の乳頭部分はほとんど平坦であつて乳輪の左右外側にまで及ぶ本件手術による瘢痕が残り、右乳房の乳頭は陥没して小さい穴があり、その乳輪には本件手術による瘢痕が残り、授乳機能が喪失していたが、現在では、左乳頭はやや隆起し、右乳頭の陥没はなくなつたものの、本件手術による右瘢痕は残り、授乳機能の喪失は改善していない。
二 滝原医師の注意義務違反の有無
1 本件手術の手術適応性の有無
(一) 滝原医師は、本件手術の乳腺腫瘍摘出術の適応性について、昭和六〇年、両側乳頭陥没のほか、両側乳房痛や腫脹、左乳房の乳輪外側のしこりがあり、両側乳腺症との診断はしたが、なお乳腺炎や繊維腺腫との鑑別のための摘出手術が必要であつたこと、昭和六三年一〇月二七日の診察においても、原告の主訴は両側乳房痛と両側陥没乳頭であり、視診及び触診の結果、両側乳房外半側にびまん性の腫瘤様の腫脹硬結があつたのでこれを乳腺症と、両側乳輪の外側にしこりが触れたのでこれを乳腺繊維腺腫とそれぞれ診断し、これらをあわせて両側乳腺腫瘍と診断したこと、乳腺腫瘍の治療内容は、二五歳以上の婦人が対象となる場合は摘出が主なものであり、乳腺症があれば癌の発生母地ができやすいことなどから、腫瘤を摘出して診断と治療をした方がよいと判断し、両側乳頭陥没手術と併せて本件手術を実施したと証言する。
しかしながら、昭和六三年一一月二九日に作成した診療録の術前の診断欄には「両側乳腺腫瘍(陥没を伴う)」の記載があるものの、前記認定のように、同年一〇月二七日の診療録の主要症状等欄や右二九日作成の診療録の現病歴欄にはいずれも両側の陥没乳頭に関する記載があるのみで、本来記載されてしかるべき滝原医師が右証言する腫脹硬結やしこり、疼痛に関する記載は全くないこと、特に、本件では、前記認定のように、昭和六〇年一月八日の診療録にはその当時原告に認められた硬結の位置、大きさ、性状が詳細に記載されているのであるから、滝原医師の原告の右乳輪の外側のしこりは昭和六〇年にはなかつたものであり、左乳輪の外側のしこりも昭和六〇年のものとは位置が異なるとの証言がその内容どおりとすれば、昭和六三年のいずれの診療録にも右しこりについて記載されているのが自然であると思われるにもかかわらず、何らの記載もないこと、滝原医師自身、乳腺症、乳腺炎、繊維腺腫の鑑別を行うためにレントゲン撮影は非常に重要であると証言し、前記認定のように、昭和六〇年の診察においてはレントゲン撮影をしているのにかかわらず、昭和六三年一〇月二七日の診察においてはこれを行つていないこと、昭和六三年一〇月二七日の診察においては、超音波検査などの補助的検査も行つていない上、昭和六〇年の診察の場合と異なり、投薬等の治療は何も行つていないこと、本件手術の手術記録には、病名として「両側乳腺腫瘍摘出術」との記載があるとともに、前記認定のように両側乳房外半側に腫瘤が存する図が描かれ、皮膚切開を施行のうえ腫瘤を摘出する旨及び大きい繊維腺腫が存した旨の記載があるが、その図には滝原医師が摘出したと証言する両側乳輪外側のしこりが記載されておらず、しかも、右手術記録に記載された切開線と原告の両乳房にのこる切開線とは全く一致しないばかりでなく、右の大きい繊維腺腫は滝原医師が摘出したと証言する小さい小豆の半分以下の繊維腺腫とは大きさにおいて全く一致しないこと、滝原医師は、摘出したしこりは形状色彩から肉眼的に繊維腺腫であると判明し、びまん性の腫瘤様の腫脹硬結は、本件手術中に直接皮下組織を剥離して腫瘤を触診した所見で乳腺症であると考えた方がよいと判断したので、いずれも顕微鏡検査は行わなかつた旨証言するが、鑑定の結果によれば、一般に繊維腺腫の一部に乳癌が合併している危険があるので、摘出した繊維腺腫は肉眼的観察では足りず顕微鏡検査が必要であり、顕微鏡標本として保存するものであると認められる上、滝原医師自身、乳腺症があれば癌の発生母地ができやすいことを理由に繊維腺腫を摘出したというのであるから、肉眼で繊維腺腫と識別しただけで顕微鏡検査をしないというのは不合理というほかないこと、看護記録には、病名として「両乳腺腫脹」と、主訴として「右・左乳房周囲の腫脹(+)疼痛(+)」と記載されているが、他方、本件手術日である一一月三〇日の欄に「両乳腺炎手術(形成術)」との記載もあつてその記載自体一貫していない上、本件手術の経過を詳細に記載した部分の「右乳腺根治術終了」及び「左乳腺根治術終了」の記載は、前記認定のとおり、それぞれ、「乳頭陥没術終了」、「左乳頭陥没術終了」の記載を白い修正液で消してその上に書き直されたものであるから、右病名や主訴の記載内容は、すぐには信用できないこと、以上のことに鑑定の結果を総合すると、滝原医師の本件手術の手術適応性に関する右証言内容は、到底信用できないことになる。そうすると、原告に本件手術当時摘出すべき乳腺腫瘍が存在したことを認めるに足りる証拠が他にない本件では、結局、本件手術は、乳腺腫瘍摘出術としての適応性を持つていなかつたものといわなればならない。
なお、昭和六〇年の診療録には、原告の左乳房に硬結があつた旨、及び腫瘤摘出手術、入院手術を要する旨の記載があるが、右硬結は乳腺症の治療である抗女性ホルモンの投与後には縮小しているし、滝原医師自身が本件手術で摘出したとする繊維腺腫との同一性は否定しているから、何ら右認定に反するものではないことになる。
(二) 次に、本件手術が陥没乳頭手術としての適応性を有していたかについて判断する。
《証拠略》によれば、陥没乳頭手術の適応性がある場合としては、陥没乳頭により授乳困難な場合、陥没乳頭のため急性乳腺炎を繰り返す場合、あるいは整容目的で本人が希望する場合などであつて、用手的に陥没乳頭を引き出せず、搾乳器による持続的陰圧でも改善のないときであることが認められ、また、これに加えて、陥没乳頭であれば乳腺炎を繰り返し、将来癌の発生母地ができる危険があるところ、手術の時期としては妊娠授乳前又はこの間歇期が最善であり、癌予防的見地からの手術適応もあることが認められる。そこで、本件手術の原告の乳頭の状況をみるに、前記認定のとおり、両側陥没乳頭があつたものの、原告は、未婚であつた授乳困難の問題は現実化していない上、昭和五八年に乳腺炎に罹患した以後本件手術に至るまでの間乳腺炎を繰り返したことを認める証拠がないこと、滝原医師は、本件手術前に原告の両側の乳房の視診、触診をしたのみで、吸引器やフックによる検査を行つていないことからすると、滝原医師が陥没乳頭手術の適応性があると判断したことはいささか早計であつたことは否めないところと思われる。しかしながら、前記認定のとおり、原告は自己の両側陥没乳頭に対して整容目的で手術を受けることを希望していたのであるから(ただし、原告に本件手術についての同意があつたといえるのかは、後記のとおり問題がある。)、本件手術は、整容目的の陥没乳頭手術としての適応性を有していたものと認めるのが相当である。
2 本件手術における術式選択の当否
《証拠略》によれば、原告の左乳頭に実施されたゼルハイム法は、陥没乳頭周囲を菊花状に切開するとともに、小三角形の皮膚を切除し、断端を互いに縫合、袋の口を紐で締めるようにする陥没乳頭の乳頭形成術であること、ゼルハイム法は、乳管周囲の剥離により皮弁の血行を障害したり、乳輪上に多くの瘢痕を残して再発が多い上、乳輪の外にまで傷跡がつくなどの欠点があり、特に形成後の乳頭から若干グロテスクな印象を受けること、改良術式として昭和六三年までに乳頭部だけにしか傷跡が残らない陥没乳頭手術の術式も報告されていることが認められる。このことからすると、本件手術におけるゼルハイム法の選択は果たして適切であつたのか、という疑問が生じるところである。しかし、手術における術式の選択は原則的に担当医師の裁量に委ねられていると解するのが相当であるところ、本件において、滝原医師が右裁量を逸脱してゼルハイム法を選択したことや同医師が右裁量内において選択すべきであつた具体的術式についてこれを認めるに足りる証拠がないので、同医師の右術式選択にその裁量を逸脱した過失があるということは、未だ許されないことになる。
次に、《証拠略》によれば、原告の右乳頭に施されたビルケンフェルト法は、先天性無乳頭症や外傷、成形術による乳頭の壊死に対して行われる乳頭造設術であつて、授乳機能を考慮しない術式であることが認められるところ、前記認定のとおり、原告の右乳頭について、昭和六三年一〇月二九日作成の診療録には右乳頭が殆ど無い状態である旨の記載があるが、徳永医師の昭和五九年の診療録には原告の右乳頭が無乳頭に近い重症であるという記載はなかつたのであるから、原告が供述するように、右乳頭は陥没していても存在していた可能性があり、そうであれば、通常の乳頭形成術で対処できたことになるから、滝原医師は乳頭造設術ではなく乳頭形成術を選択すべきではなかつたか、との疑念が強く生じるところである。しかしながら、左乳頭についての前記理由と同様の理由により、原告の供述以外に原告の右乳頭の状況が乳頭形成術で対処できたことを確定的に認めるに足りる証拠がない本件では、右の疑念を超えて、滝原医師の右乳頭に対してビルケンフェルト法を選択したことにその裁量を逸脱した過失があると認めることは、未だ不十分といわなければならない。
なお、本件手術において滝原医師に手技の過失を認めるに足りる証拠はない。
3 滝原医師の説明義務違反の有無
本件手術のように整容目的の手術の場合、手術の必要性や緊急性に乏しい上、その目的が整容ということから、手術の担当医師に対しては、手術に実施にあたつて、手術の方法や内容、手術の結果における成功の度合い、副作用の有無等のみならず、通常の手術の場合以上に手術の美容的結果、なかでも手術による傷跡の有無やその予想される状況について十分に説明し、それにより、患者がその手術を応諾するか否かを自ら決定するに足りるだけの資料を提供する義務が当然負わされているものと解するのが相当である。
そこで、本件をみるに、前記認定事実によれば、滝原医師は、陥没乳頭は一般に乳腺炎や乳癌になりやすいので手術した方がよいと述べ、また、手術方法は、乳輪の中を切るだけで傷はほとんど残らず、美容形成外科医は乳房の機能について知識がないので手術を受けると授乳機能を失う危険があるが、自分はベテランの専門医であるからその危険はない、被告病院で手術を受ければ、保険診療の適用のある病名を付して行うなどと説明したものの、本件手術の方法であるゼルハイム法やビルケンフェルト法の切開線などの内容やその結果生じる傷跡の有無、予想される傷跡の状況について正確な説明を全くしていなかつたものであり、その結果、原告は、本件手術による傷跡はほとんど残らないものと考えて手術に同意したといえるので、この点において、滝原医師に本件手術を行うに際して担当医師に求められる右説明義務に違反したことが認められ、その結果なされた原告の同意は、本件手術に対する滝原医師の責任ひいては同医師の不法行為に基づく被告の損害賠償責任を何ら免責するものではないといわなればならない。
なお、滝原医師は、本件手術の前日である一一月二九日、被告病院に入院した原告に対し、ある程度期待できるが、右乳頭はうまくいつて乳輪と同じような状態で、授乳機能はあまり期待できないこと、傷跡はある程度残り体質により瘢痕がある程度残つて問題になる旨を説明して本件手術を受けることについて念を押したが、原告はこれを納得して本件手術を同医師に依頼したと証言する。
しかし、徳永医師の隆鼻術を受けるほど美容への関心が強い原告が右の説明で納得したというのは極めて不自然である上、前記認定の昭和六三年一二月一〇日における原告の言動からすると原告は本件手術の結果を全く予想していなかつたことが認められるので、これに前記のとおり滝原医師の本件手術の適応性についての証言内容に信用性が欠けることや原告本人尋問の結果を併せ対比すると、滝原医師の右証言は、すぐには措信できない。
三 本件手術と損害との因果関係の有無
1 原告のアレルギー体質
《証拠略》によれば、徳永医師は本件手術後に原告の左右乳頭に再三手術を実施したが、その際、原告がアレルギー体質と認めた旨を診療録に全く記載していない上、同医師自身、原告はひどい肥厚性瘢痕になつていないので、体質的には問題ないと判断していることが認められ、この事実と対比すると、原告はアレルギー体質であり、これが原告の右乳頭壊死や瘢痕の主たる原因だとする滝原医師の証言はすぐに信用することができず、他に原告のアレルギー体質やこれによつて右乳頭壊死や瘢痕が生じたことを認めるに足りる証拠はない。そうすると、滝原医師の右証言内容にそう被告の主張は、失当であり、採用できない。
2 右乳房の授乳機能の喪失
滝原医師は、原告の右乳房の乳管はもともと少なく、その乳頭も正常の場合に比べて大変矮小で奇形であるから、そもそも授乳機能はほとんど期待できなかつたと証言するが、前記のように原告の右乳頭は存在していた可能性があり、そうであれば、授乳機能の存在の可能性も考えられる一方、鑑定の結果によれば、重度な陥没乳頭でも乳管を温存する改良術式で乳汁分泌を確認した例も認められるので、本件手術により右乳房の授乳機能を全く喪失したことは、なお本件手術と因果関係のある損害と認めるのが相当である。
四 原告の損害
1 逸失利益
前記認定のとおり、本件手術により、原告には左乳頭部の乳輪の外側にまで及ぶ瘢痕と右乳房の乳輪内の瘢痕及び右乳頭壊死、右乳房の授乳機能の喪失という後遺障害が残つたものである。
しかし、右瘢痕や壊死が存するのは女子の乳房という日常生活において他人に露出することのない部分であり、これがため人の精神的肉体的活動を客観的に阻害し、低下させるものとは通常考え難いから、右瘢痕や壊死が残つたことにより、原告がその逸失利益算定の基礎となる労働能力の一部を喪失したものとは認められない。また、授乳機能を喪失したとしても、他に乳幼児に対する授乳手段もあり、その他日常生活や家事労働には支障はないことからすると、今後原告が結婚して育児をする上で、原告の右後遺障害により労働能力の一部が現に喪失し、あるいは将来喪失するとは、到底いえないものと考える。
したがつて、右各後遺障害により、原告に逸失利益算定の基礎となる労働能力の喪失を来したものとは認められないので、逸失利益の主張は、採用することができない。
2 慰謝料
原告は、前記認定のとおり、本件手術当時二五歳の未婚の女性であつたから、将来の結婚、妊娠、出産、母乳による育児という人生設計を抱いていたことは想像するに難くなく、それだけに、将来の授乳機能の可能性がどの程度のものであつたかはともかくとして、本件手術による右機能の喪失や両乳房の瘢痕、右乳頭壊死が原告に計り知れない衝撃を与えたであろうことは前記認定の本件手術後の原告の言動からも明らかであること、しかも、両乳房の瘢痕は、本件手術後美容形成外科医である徳永医師による三度の手術あるいは治療を受けてはいるものの、将来の改善はかなり困難であること、そのため、原告が旅行等の日常生活において、引け目や不便を感じたり、更には、将来の結婚において障害となるのではないかという原告の不安にはもつともなものがあると認められること、その他前記認定の諸般の事情を総合勘案すると、原告の本件手術による精神的、肉体的苦痛を慰謝すべき額は、七〇〇万円が相当である。
五 結論
よつて、原告の本訴請求中、七〇〇万円及びこれに対する昭和六三年一一月三〇日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるから認容し、その余の部分は理由がないから棄却する。
(裁判長裁判官 中山弘幸 裁判官 滝萃聡之 裁判官 野本淑子)